Jil Sanderのフィロソフィー〜デザイナーの幸せって?

こんにちは。ウラシマです。

出産・育児の為、1年半ほどお休みを頂き、復職してまだ2週間。
ファッション情報にすっかりウラシマな私に、いきなりブログの当番が回って来てしまいました。しかも、テーマは「何でもいいからファッションについて」とのコト...ひゃーです。(こんなユルいノリで会社的に大丈夫??)

お買い物は近所のショッピングモール、趣味はホームパーティや家族でドライブ、旅行(当然国内)。車はヴォクシー。まるで、30代ミセスのプロファイリングそのままな私。

そんな私が、この1年半の間で唯一、気になったファッション関連ニュースは
UNIQLO と Ms. Jil Sanderのデザイン契約。そして彼女との取り組みによるコレクション「+J(プラスジェイ)」の販売開始。
2009年10月の販売開始時にはパリの「UNIQLO PARIS OPERA(パリ・オペラ店)」や銀座店で800人を越す人々が開店前に行列したそうで、国内外で非常に好調な売れ行きだそうですよね。

Jil Sanderといえば、90年代のミニマリズム台頭の時代の代表的なデザイナーの一人ですが、「装飾なきデザイン〜design without decoration」をコンセプトにした彼女の物作りに対するスタンスやデザインがすごく好きで、私が敬愛するデザイナーの一人です。

 ユニクロ「+J」のコンセプトは、「未来の解放」。「シンプルであるがゆえの贅沢さ」、「デザインにおける純粋さ」、「美しさと快適さ」、そして「あらゆる人への高品質」。

 装飾やムダをそぎ落としたミニマルなデザインで内面の美しさや品格を表現し、素材やカット、着心地や繊細なディティールにこだわったクリエーションをしていた彼女のフィロソフィーがそのままこの「+J」のコンセプトになっていると感じました。


ここで、Ms.Jil Sander(以後Jil)について少し触れたいと思います。



彼女の本名はHeidemarie Jiline Sander(ハイデマリー・イリーネ・ザンダー)。1943年11月27日にドイツのハンブルグ近郊で生まれ、クレフェルド・スクール・オブ・テキスタイルでテキスタイルデザインを学びます。その後、交換留学生としてアメリカのカルフォルニア大学に2年在籍したのち、当初はファッションジャーナリストとして活躍します。
 68年にハンブルグにブティックを開き、ティエリ・ミュグレやソニア・リキエルの服を売る傍ら、自らがデザインした服を売っていたそうです。
 そして、73年にパリのプレタポルテコレクションで自身の名前のミドルネ—ムから名付けたブランド「Jil Sander」を発表します。しかし当時のパリファッション界ではカラフルで派手な服が主流だったため、彼女のミニマルなデザインは受け入れられず、80年にはパリから撤退しました。その後、活動の場をパリからミラノへと移して87年からはミラノコレクションに参加。90年代には彼女の時代となります。
 しかし、1999年、プラダグループがブランド「Jil Sander」を買収。コストを考えるプラダ側と、素材の品質を落としたくないというJilとの対立から2000-2001A/Wコレクションを最後にデザイナーを辞任してしまいます。2003年3月に復帰しますが、2004年11月に再びプラダとの不調和を理由に辞任...
 この経緯を見るだけで彼女のデザインに対する信念を感じます。

 そんな信念を持ち、その信念を貫く為に愛する自身のブランドから身を引いた彼女が、あのユニクロとのコラボです!これは、もう本当に、本当に大びっくりでした。
「+J」コレクションのデザイン以外に、グローバルに事業展開をするユニクロのメンズ及びウィメンズ商品全体に対してジル・サンダー氏がデザイン・クリエイティブ監修行なうとのこと。
 ええっ?どうして?彼女の世界はちゃんと表現できるの?きっとうまくいかないのでは...またすぐに辞めてしまうのでは...、と心配しつつも、彼女のデザインする服にまた出会えると思うと、しかも手の届くプライスでとなると、これは嬉しい事件でもありました。きっと世界中のJilファンがそう思ったことでしょう。

ユニクロを展開するファーストリテイリング社の柳井正会長は、Jilを「21世紀最初で最後のグレイティストデザイナー」と絶賛し、惚れ込んでいるとの事。
Jilがブランド「Jil Sander」で見せてくれたクリエーションとは異なり、コストの面から素材や縫製などに制限が加わる事は否定できないけれども、その枠の中で同じフィロソフィーを表現することも、彼女なら可能かもしれませんよね。



 プレタポルテという最高の舞台であっても自分のクリエーションを理解してくれない経営者のもとで働くよりは、自分のデザインや信念を理解し同じ方向を見てくれている経営者のもとで働くことが、デザイナーにとっては幸せなことなのかもしれません。そんな思いから彼女はこの契約を決意したのかもしれません。決して成功ばかりとは言えない波瀾万丈な彼女の人生の中で、この出会いが幸せなものであったらと思います。
 そして、またいつか彼女が思う存分に服作りをできる場ができることを願ってやみません。これからの彼女の挑戦を見守っていきたいと思います。

そして、私はなるべく早いとこ脱“ウラシマ”できるよう頑張らなくっちゃ。